プロフィール

はじめまして。

幸せなパートナーシップを築くカウンセリングをしてます。
心理カウンセラーの森川さえと申します。

傷ついて、寂しくて、苦しい想いを抱えている貴方へ、一度きりの人生を後悔しない為に
少しでもお役に立てれば幸いです。

アダルトチルドレン 愛着障害 パートナーシップでお悩みの夫婦関係 恋愛 親子問題の
相談をさせていただきます。

心理カウンセリングやコーチングを受ける場合は、カウンセラーとの相性がとても大切です。

是非、私のプロフィールをご覧ください。

当時5・6歳だった私は保育園から帰り「ただいまー」と言っても家には誰もいなくて、一人で留守番をしていました。

夏の急なにわか雨の雷の激しい音がとても怖くて、布団をかぶって雨がやむのを待っていたことを今でも覚えています。

「早く帰って来てー」と涙をこらえていたあの時は淋しさと孤独感でいっぱいでした。

本当は家にお母さんがいてくれたらいいのに…が心の叫びで口にする事はありませんでした。

小・中・高校生の時は、人から言われる嫌な言葉が心に突き刺さり頭から離れず、いつも悩み落ち込んでは疲れていました。

小・中学校で同級生の男子から嫌がらせがあり、高校は部活の同級生と相性が悪く人間関係に疲れ、只々一人で耐え続けていました。

そんな時は「なんで生まれてきたんだろう」ってこんな辛い思いをするなら、生まれてこなければよかったのに…といつも思ってました。

そして、こんな辛い思いを親に相談する事はありませんでした。

両親はいつも働いていて母も仕事から帰って来ると家事に追われ、私には二人の兄がいたので、母は休む暇もなく忙しく家の事をこなしていました。

特に父は兄たちを大学に行かせるために、必死に働いていました。

私は高校卒業後は就職というレールが引かれていました。

学校も勉強はできないし楽しくないし落ちこぼれでしたので、早く社会人になって家を出たいと思っていました。

高校卒業後、プリンスホテルに就職しました。

私にとっては新しい社会の出発で、不安と期待を膨らませていました。

仕事が終わり職場同士で飲み会や食事へ行ったりと充実した時間を過ごしていたある飲み会の場で別の部署の上司と出会いこの時がきっかけで不倫が始まりました。

社会人の浅い私から見たらとても大人で頼もしく知的で包容力があって素敵な人でした。

いけない事だと頭では分かっているつもり、自分の将来の為にも決別したいと強く思うけれど、心が理解できずどうしていいのかズルズル時間ばかり過ぎていきました。

苦しくて胸が張り裂ける時もあり、幸せな瞬間もあり、でもやっぱり最後は孤独でした。

数年後には転職して離れてみたけど駄目、海外旅行へ行ってみたけど駄目、ゴルフや習い事したり、友達に相談したら逆に否定され二度と他人に話す事をやめ心を閉ざしました。

苦しみから気を紛らわす為に色んな事にチャレンジしてみました。

あれから10年の時の流れがお互いの間で距離が生じ私の心の中にも変化が…自分自身が本当に求めているものは何かを考える中で前を進む決意を固めました。

私は友人と会うために韓国へ行きました。そこで出会ったのが今の夫です。

とても優しく穏やかで口数の少ない、人の悪口を言わないそんな人と出会い幸せな結婚をする事ができました。

夫は身内が日本で働いていることもあり、日本で働きたい気持ちと子供には日本の教育を受けさせたいと話してました。

長女は韓国で生まれ息子の出産を機に日本で暮らすことになりました。

当初は日本の生活も仕事にも慣れないせいか夫は口癖で「疲れた・ストレス」と頻繫に言っていたので、夫に負担をかけまいと神経を使ってました。

そんな時に保育園の園長から2歳の息子の行動がおかしいと「言葉が遅いし、他の子は座っているのに一人で勝手な行動をしている…」と言われて私はショックを受けました。

夫にこの事を話しても、首をかしげるだけで「大丈夫だよ」の一言だけ。

ある日、夫から突然来週で仕事が終わると告げられました。

私はしばらく理解が出来ず、「どういうこと?」と聞くと会社が倒産するとの事、私は目の前が真っ暗になりました。
無職になってからは毎日ゴロゴロ寝てばかりで、外出して夜遅くに帰宅する日々が続きました「早く仕事に就いて欲しいのに…」と思いながらも、口に出さずに数ヶ月も見守ってました。

その間に転職を試みたようですが、ある職場は1週間行って首になり、今度は1ヶ月働いたのでこの調子なら大丈夫と思った矢先に首になり、夫も疲れ果てたのかある日、仲間と飲みに行った帰り道に酔ったまま外で寝てしまい、朝起きたら顔面神経麻痺になっていたと言うのです。私は直ぐに夫と病院へ行きました。

MRI検査の結果…医師からは想像しない言葉が「脳腫瘍が見つかりました」と画像に大きく映ってました。私は現実を受け止めきれず頭の整理も出来ないままただ時間だけが過ぎていきました。

そして1ヶ月後の検査結果は腫瘍が若干小さくなっていたこともあり、6ヶ月後の検査も必要とのことで帰ってきました。夫は相変わらずの表情と無口で動揺している様子もなく黙ったままでした。

私は、「少しの安心と夫だけ何でこんなにも不幸が度重なるのか…?」と悲しさと虚しさで落ち込みました。それでも日々の生活に戻り仕事と子育てに追われていきました。

それからも無職のまま詫びる様子もなく、子育てには消極的で家庭には1円も入れることもなく、私はもう夫の振る舞いに理解する事ができませんでした。

小さい頃から我慢してきたせいか、過去の経験からも自分の事で人に相談するという意識がありませんでした。

毎日の生活と2人の子どもを抱え育てることで必死でしたから、いつも自分の事は後回しにしてきました。
夫は無職中、家族に対しても無関心で、子どもの誕生日も何もなく家にもいませんでした。

話し合いも何度も試みましたが、昔からコミュニケーションが難しく夫からの本音が言葉で出てこないし、結局は黙ってしまう事です。

私が話していることも実際はどこまで理解しているかもわかりません。「どうしたらいいのか…?」いつも「分かった…」と言うが、同じ事を何度も話しているのです。

夫との会話が只々疲れてしまい、私の心と身体は限界を超えて終いには、子供に八つ当たりするようになってしまい、自己嫌悪に陥り、夫に拒絶反応を示しどうすることもできない自分が完成してしまいました。

私は、長い間夫の言動に理解苦しみ心理学や言葉の力というものに関心を持っていました。
不安の中でしたがカウンセリングを受ける決意をしました。

その中で心の仕組みや対人関係セラピーなどゆっくりと穏やかな気持ちでカウンセリングをして頂き、自分の考え方のくせや長所に気づき、今抱えている問題を整理出来たり、考え方をポジティブに切り換えられたり、人として成長できるなど「もっと早く出会いたかった…」が本音です。

後に、カウンセラー講座で心理学を学び、私と同じように苦しんでいる人がいるならば、心の解放をして上げたい…そんな気持ちで立ち上がりました。

私は、自分と子供を守るために離婚しましたが、カウンセリングの中で先生は「幸せな離婚」もある事を教えてくださいました。この時に、心がす~と解放された気持ちになりました。

私にとって全てが第二の新しい希望に満ちた人生が始まった事を確信できました。

一人一人色んな環境の中で、色んな心情で一生懸命ここまで生きてたどりついたと思います。
人生は何歳になっても今からが始まりです。

傷ついて・寂しくて・苦しい想いから解放され新しい人生の始まりにお手伝いをさせてください。

やっぱり女性が幸せであり元気であることが、家庭の中でも、社会の中でも、日本も世界も明るく照らしてくれます。

アダルトチルドレン・愛着障害・パートナーシップでお悩みの夫婦問題・恋愛・親子問題の
相談をさせていただきます。